"雨が降る、降る、城ヶ島~"と自宅から城ヶ島が近いもんですから、Yahoo!の雨雲ズーム・レーダーを視ると日本列島に並行する巨大な雨雲の群が空を覆って、再たまた朝の通勤時間帯に雨降りですわぁ・・・

 雨が少ないと世の中困ることが多かろうとも、嫌ですねぇ、我々世の中の最下層に生きる人間らに雨わぁ。

 何せ、何にも無いような都心から遠く離れた地から穢い街まで食を得る為に脚を運ぶには路線バスを終点から終点まで乗ってプロレタリア急行に乗り継がにゃならんくて、近所に掲げられてる日本共産党のポスターには志位委員長の顔にいたずら書きがされとって、viewer諸賢は当ブログ著者が共産党ファンだと思い込んでるようれすが、学生の時ドイツ語の学習に努力した著者もカール・マルクスの著書には惹かれることはなかったんれす。

 まっ、マルクスの著作を理解するほど知能が高くなかった訳れ、マルクスの思想に熱心な人々が理想とする行動は陸軍が理想とする規律と軌を一にするようですが、近年研究者を拡げたゲーム理論の考え、各々の行動主体が意思決定を異にする場合の社会的現象の帰結を考察する態度はレオン・ワルラスが創始した考えに較べ、ワルラス流経済学における行動主体の意思決定が画一的に前提されている非現実性から、経済学界を越えて様々な方面に波及し、現代社会科学のコアと見做されるようになりましたものの、ワルラスの構想が実に経済学として思考の経済性を発揮したものである点を援護する向きは極めて少ないように思われます。

 ともあれ、アカデミアの議論は確かに現実社会への指導力を微かなものとし、ケインズのような実際の問題に生涯取り組んだ人物の思想ほど学ぶものは有りません。

【ブログ背景画像解題】
 相模湾岸にて江ノ島と南北に向き合う荒崎は湘南の景勝地の一つとして知る人ぞ知る地ですが、源義経の郎党であった鈴木重家の卑属が建立したとの伝承を遺す熊野神社の境内からは爽快な眺めが満喫できます。

 鈴木重家の生家となる紀伊・名草郡藤白浦を本拠とした藤白鈴木家は饒速日(ニギハヤヒ)命の後裔という出雲族の流れとされ、多弁(たわき)宿禰を祖として古代朝廷にて穂積臣と称された水軍の武家でした。

 鎌倉幕府御家人として承久の乱後に尾張守護に補せられ幕府では評定衆を任ぜられた中条家長の後裔は長らく三河・賀茂郡下の高橋荘を営み、中条氏の配下にも藤白鈴木家が在ったことを伝えます。

 徳川家康の高祖父として三河・額田郡下の岩津城を北条早雲こと伊勢宗瑞率いる今川氏の軍勢に囲まれた松平長親の母方祖父を鈴木重勝と伝え、藤白鈴木家から岐れた武家として伊豆半島にて相模湾岸となる稲取岬を拠点とした江梨鈴木家は小田原北条氏の配下にて水軍の将を務めた武家でした。