大戦を前に重電メーカーの芝浦製作所と弱電メーカーの東京電気が合体して生まれた日本を代表する名門企業・東芝は官需をも大きくする企業としてロンドン証取にてヨーロッパ預託証券を下敷きに株式を上場している企業でありながら、東芝の財務諸表監査に与ったロンドンを本拠とするプライス・ウォーターハウス&クーパースから監査意見の表明を拒絶された儘、テレビ・カメラの前で経営陣が決算について釈明するという醜態を曝した。

 東芝は米SEC会計基準に遵って決算しているが、長らく取得原価主義会計に拠った実務を践んできた日本の産業にとって英米の実際界における会計開示の実務はかなり違和感を禁じ得ないものであろう。

 独ケルン大学教授であったオイゲン・シュマーレンバッハの主張が如何ほど正鵠を射た解釈で実践されたかは不確かな昭和37年商法改正以降の上場企業決算の態度とは懸け離れた米SEC会計基準を東芝の経営陣が等閑に付した態の戯言では最早済まされず、半導体事業での不祥事や米原子力事業での不祥事を此処数年叩かれて人事を刷新した東芝の経営陣が改革を謳いながら猶も"でたらめ"な決算を主張したことは欧米の資本市場から死刑判決を被る日を間近にしたとしか言いようがない。

 固定資産・負債を大きくする上場企業の決算を米産業は財産法且つ時価主義で開示する。

【ブログ背景画像解題】
 相模湾岸にて江ノ島と南北に向き合う荒崎は湘南の景勝地の一つとして知る人ぞ知る地ですが、源義経の郎党であった鈴木重家の卑属が建立したとの伝承を遺す熊野神社の境内からは爽快な眺めが満喫できます。

 鈴木重家の生家となる紀伊・名草郡藤白浦を本拠とした藤白鈴木家は饒速日(ニギハヤヒ)命の後裔という出雲族の流れとされ、多弁(たわき)宿禰を祖として古代朝廷にて穂積臣と称された水軍の武家でした。

 鎌倉幕府御家人として承久の乱後に尾張守護に補せられ幕府では評定衆を任ぜられた中条家長の後裔は長らく三河・賀茂郡下の高橋荘を営み、中条氏の配下にも藤白鈴木家が在ったことを伝えます。

 徳川家康の高祖父として三河・額田郡下の岩津城を北条早雲こと伊勢宗瑞率いる今川氏の軍勢に囲まれた松平長親の母方祖父を鈴木重勝と伝え、藤白鈴木家から岐れた武家として伊豆半島にて相模湾岸となる稲取岬を拠点とした江梨鈴木家は小田原北条氏の配下にて水軍の将を務めた武家でした。