満開となった桜花が咲き綻びる中を折角の土日が重なりながら、南関東では金曜の午中から続いた長雨が今も已まぬことを恨めしく思っている人が多いことでしょう。

 勤労者にとって年間通してのビッグ・イベントとなる牝馬の祭典・桜花賞の催された関西では既に降雨が見られないようですから、今暫くの辛抱でしょう。

 先日横浜市神奈川区に伝わる古話をこのブログに記しましたが、そのきっかけは仕事で京急線の神奈川新町駅で降りて横浜港の北側に在る市港湾局に赴いたからでした。

 港湾局が入る厚生センターの建物の1階に"波止場食堂"と号する食堂が在り、外観はショボいけど(失礼)港の傍に建つ小さな食堂に何となくノスタルジーを感じたのです。

 それほど広くない店内には港湾関係の人たちやトラックのドライバーさんらが所狭しといっぱいで、サーロイン・ステーキ定食が800円とリーゾナブルにして実に美味しかったのです・・・

【ブログ背景画像解題】
 相模湾岸にて江ノ島と南北に向き合う荒崎は湘南の景勝地の一つとして知る人ぞ知る地ですが、源義経の郎党であった鈴木重家の卑属が建立したとの伝承を遺す熊野神社の境内からは爽快な眺めが満喫できます。

 鈴木重家の生家となる紀伊・名草郡藤白浦を本拠とした藤白鈴木家は饒速日(ニギハヤヒ)命の後裔という出雲族の流れとされ、多弁(たわき)宿禰を祖として古代朝廷にて穂積臣と称された水軍の武家でした。

 鎌倉幕府御家人として承久の乱後に尾張守護に補せられ幕府では評定衆を任ぜられた中条家長の後裔は長らく三河・賀茂郡下の高橋荘を営み、中条氏の配下にも藤白鈴木家が在ったことを伝えます。

 徳川家康の高祖父として三河・額田郡下の岩津城を北条早雲こと伊勢宗瑞率いる今川氏の軍勢に囲まれた松平長親の母方祖父を鈴木重勝と伝え、藤白鈴木家から岐れた武家として伊豆半島にて相模湾岸となる稲取岬を拠点とした江梨鈴木家は小田原北条氏の配下にて水軍の将を務めた武家でした。