JRの轍路に並行して走る私鉄・京急線の駅名は逗子に対して新逗子とか京急川崎とか少しずらした名称を号しているものですが、JR根岸線が国鉄時代に磯子駅を終点としていた頃に京急は堂々と杉田駅と称え、根岸線が磯子駅から延伸して大船駅まで繋がるようになって出来た新駅は新杉田駅とされ、JRの駅名が私鉄に後れをとった訳です。

 それと似たような関係に在るのが京急線の子安駅に対して高度経済成長下に増設された京浜東北線の新子安駅で、逆に京急側は自社の生麦駅と子安駅の間に出来た新子安駅の最寄りに路線競合の中で経営の競争性を保つべく京急新子安駅を新設し、東西に同じ子安の地名を抱えた駅を2ヶ所営むことになりました。

 京急線の子安駅近くを入江川が東京湾に注ぎ、横浜市神奈川区に伝わる古い話にて相模国三浦郡出身たる浦島太夫の子として丹後国に出生した太郎が老後に聞き及んだ親の墓所の所在たる武蔵国橘樹郡白幡郷を訪ねて上った子安の浜に該る地と思われます。

 んな訳れ、京急川崎駅から下った特急が横浜駅に停まる途中で一度だけ停まっちゃう神奈川新町駅の北東に京急線の轍路を挟んで浦島町・亀住町の地名を示し、京急線の北側に並行するJRの轍路のさらに北には浦島丘の地名を視て、その北西に連なる丘陵地一帯が旧武蔵国橘樹郡白幡郷となり、その西端を走る東急東横線に白楽駅や東白楽駅が見られます。

 いやぁ、神奈川ってホントに素晴らしい所れすねぇ(故・水野晴郎風に読む)

【ブログ背景画像解題】
 相模湾岸にて江ノ島と南北に向き合う荒崎は湘南の景勝地の一つとして知る人ぞ知る地ですが、源義経の郎党であった鈴木重家の卑属が建立したとの伝承を遺す熊野神社の境内からは爽快な眺めが満喫できます。

 鈴木重家の生家となる紀伊・名草郡藤白浦を本拠とした藤白鈴木家は饒速日(ニギハヤヒ)命の後裔という出雲族の流れとされ、多弁(たわき)宿禰を祖として古代朝廷にて穂積臣と称された水軍の武家でした。

 鎌倉幕府御家人として承久の乱後に尾張守護に補せられ幕府では評定衆を任ぜられた中条家長の後裔は長らく三河・賀茂郡下の高橋荘を営み、中条氏の配下にも藤白鈴木家が在ったことを伝えます。

 徳川家康の高祖父として三河・額田郡下の岩津城を北条早雲こと伊勢宗瑞率いる今川氏の軍勢に囲まれた松平長親の母方祖父を鈴木重勝と伝え、藤白鈴木家から岐れた武家として伊豆半島にて相模湾岸となる稲取岬を拠点とした江梨鈴木家は小田原北条氏の配下にて水軍の将を務めた武家でした。