スマホって縦に持つもんですわなっ・・・

 わては横に持ちますのやぁ

 っつうのも、日本で圧倒的なユーザー数を誇るiphoneではどうか知らんのやけど、自分の端末はandroidで動くさきchromeでウェブ・サイトを視るにはデスクトップ表示を選好しますからやぁ。

 まっ、縦に持とうが電車の中で新聞や雑誌の代わりに文字情報を視る分には構わへんのやろけど、日経新聞が160円なのに対して読売新聞なんか130円と30円も安くって、苦痛な電車通勤で時間を短くするには如何で安かろうが記事の無い読売新聞を売店で買って視るよりは経済的でっしゃろが、思えばスマホってのはデータ通信っつうよりテレビをポータブル化したようなもんですわなっ。

 データを受信するだけで、キーボードを使えないし、ファイルをアップロードするにも性能的な限界が明らかで、受信と送信の双方向性に意義の有るデータ通信の美点を没却したスマホ利用ってのはホント往年テレビの普及で批判された1億総白痴化を強化する慣習であって、迷惑ですわなっ、こうした阿呆メディアの隆盛わぁ。

【ブログ背景画像解題】
 相模湾岸にて江ノ島と南北に向き合う荒崎は湘南の景勝地の一つとして知る人ぞ知る地ですが、源義経の郎党であった鈴木重家の卑属が建立したとの伝承を遺す熊野神社の境内からは爽快な眺めが満喫できます。

 鈴木重家の生家となる紀伊・名草郡藤白浦を本拠とした藤白鈴木家は饒速日(ニギハヤヒ)命の後裔という出雲族の流れとされ、多弁(たわき)宿禰を祖として古代朝廷にて穂積臣と称された水軍の武家でした。

 鎌倉幕府御家人として承久の乱後に尾張守護に補せられ幕府では評定衆を任ぜられた中条家長の後裔は長らく三河・賀茂郡下の高橋荘を営み、中条氏の配下にも藤白鈴木家が在ったことを伝えます。

 徳川家康の高祖父として三河・額田郡下の岩津城を北条早雲こと伊勢宗瑞率いる今川氏の軍勢に囲まれた松平長親の母方祖父を鈴木重勝と伝え、藤白鈴木家から岐れた武家として伊豆半島にて相模湾岸となる稲取岬を拠点とした江梨鈴木家は小田原北条氏の配下にて水軍の将を務めた武家でした。