自由民主党を築いた1955年の保守大合同下を生きた三木武吉や大野伴睦・岸信介・緒方竹虎らのような堅い政治信条を抱いた政治家は高度経済成長期に政権を担った池田隼人や佐藤栄作以降現れず、河野一郎や田中角栄・中曽根康弘・竹下登といった灰汁の強い人物や老獪さを売りとした政治家らが自民党で活躍し、政界に出馬した若き石原慎太郎は自民党内の大派閥の中に埋没してしまった。

 河野一郎の政治手法を踏襲し拡大した金権政治家・田中角栄が政権を担った時、日本は高度経済成長を終焉させ、国政に新たな変革を求めるべき時代に至っていた。

 然るに、自民党は派閥力学から無能にして全く総理の器でない人物らを歴代総理に就かせ、遂に公明党と連立するようになって以往、急速に政府債務残高を膨張させ始めた。

 高度経済成長時代に政権を担った池田・佐藤らの金権政治を悪しくも見倣い増幅させた田中角栄が退陣した後、石原慎太郎を党総裁に選出できなかった自民党の論理が党の命脈と日本の歩む道を絶った。

 ポスト安倍を論ぜずとも、既に日本から自由政党は完全に消えた。

【ブログ背景画像解題】
 相模湾岸にて江ノ島と南北に向き合う荒崎は湘南の景勝地の一つとして知る人ぞ知る地ですが、源義経の郎党であった鈴木重家の卑属が建立したとの伝承を遺す熊野神社の境内からは爽快な眺めが満喫できます。

 鈴木重家の生家となる紀伊・名草郡藤白浦を本拠とした藤白鈴木家は饒速日(ニギハヤヒ)命の後裔という出雲族の流れとされ、多弁(たわき)宿禰を祖として古代朝廷にて穂積臣と称された水軍の武家でした。

 鎌倉幕府御家人として承久の乱後に尾張守護に補せられ幕府では評定衆を任ぜられた中条家長の後裔は長らく三河・賀茂郡下の高橋荘を営み、中条氏の配下にも藤白鈴木家が在ったことを伝えます。

 徳川家康の高祖父として三河・額田郡下の岩津城を北条早雲こと伊勢宗瑞率いる今川氏の軍勢に囲まれた松平長親の母方祖父を鈴木重勝と伝え、藤白鈴木家から岐れた武家として伊豆半島にて相模湾岸となる稲取岬を拠点とした江梨鈴木家は小田原北条氏の配下にて水軍の将を務めた武家でした。